大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和63年(わ)558号 判決

(被告人の表示)

(一)本店所在地

埼玉県上尾市柏座四丁目六番七号

株式会社友華堂

(右代表者代表取締役 安野清)

(二)本籍

埼玉県上尾市愛宕一丁目五七番地の六

住居

埼玉県上尾市緑丘三丁目六番七号

会社役員

安野清

昭和一九年一二月一四日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官富松茂大及び同八木原一良並びに弁護人中勲各出席の上で審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人株式会社友華堂を罰金二八〇〇万円に、被告人安野清を懲役一年に各処する。

被告人安野清に対し、この裁判の確定した日から三年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人株式会社友華堂(以下「被告会社」という。)は、埼玉県上尾市柏座四丁目六番七号に本店を置き、印鑑の製造販売、食器・家庭用品の割賦販売等を営業目的とする資本金五〇〇〇万円(昭和六一年八月一二日増資)の株式会社であり、被告人安野清は、被告会社の代表取締役として、その業務全般を統括しているものであるが、被告人安野は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上げの一部を除外し、架空経費を計上するなどの不正な方法により所得を秘匿した上

第一  昭和五八年三月二一日から同五九年三月二〇日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一億三二二九万六〇六四円(別紙「修正損益計算書Ⅰ」参照。)であったにもかかわらず、同五九年五月二一日、同県大宮市土手町三丁目一八四番地所在の所轄大宮税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が六二二九万六三〇八円で、これに対する法人税額が二三七七万三九〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により被告人会社の同事業年度における正規の法人税額五三一六万五八〇〇円(別紙「税額計算書Ⅰ」参照)との差額二九三九万一九〇〇円を免れ

第二  昭和五九年三月二一日から同六〇年三月二〇日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が二億五九四九万一九七三円(別紙「修正損益計算書Ⅱ」参照)であったにもかかわらず、同六〇年五月二〇日、前記大宮税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が九〇二一万七四三四円で、これに対する法人税額が三五〇九万一四〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により被告会社の同事業年度における正規の法人税額一億九七五万九四〇〇円(別紙「税額計算書Ⅱ」参照)との差額七四六六万八〇〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

判示全事実について

一  証人生田目六寿郎、同佐藤政子及び同安野文子の当公判廷における各供述

一  被告人の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏の被告人に対する各質問てん末書

一  被告人作成の各答申書及び上申書

一  安野昭三、佐藤政子、生田目六寿郎、有明慶晃、安野愛顧、安野文子、内田つね子及び佐藤昌夫の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏の安野昭三、佐藤政子、生田目六寿郎、有明慶晃、安野公、安野愛顧、安野文子、内田つね子、佐藤昌夫、田中千鶴子、上田道夫、小林春夫、小澤達司、大嶋浩一、瓜生信介、大塚寛、奈良部浩及び馬渕哲男に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の「売上高調査書」、「期首商品製品たな卸高調査書」、「運搬費調査書」、「広告費調査書」、「印刷費調査書」、「期末商品製品たな卸高調査書」、「役員報酬調査書」、「役員賞与調査書」、「給料手当調査書」、「旅費交通費調査書」、「雑貨調査書」、「事業税認定損調査書」、「売上割戻調査書」、「役員賞与否認調査書」、「増差所得証明書」、「証明書」、「たな卸除外商品の売上状況調査書」、「仕入高(その他所得)に関する説明調査書」と題する各書面

一  大宮税務署長作成の61・12・19付「証明書」と題する書面

一  安野昭三作成の各答申書

一  株式会社友華堂作成の「割賦販売未実現利益繰延勘定の明細」と題する各書面(写)

一  生田目六寿郎作成の「未実現利益繰延額の算出方法について」と題する書面

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の弁護人に対する各供述調書

判示第二の事実について

一  証人有明慶晃の当公判廷における供述

一  収税官吏作成の「売上除外(繰延べ)商品の売上状況調査書」、「商品・製品たな卸高中、ベルーナ部門の増減額の説明調査書」と題する各書面

(争点に対する当裁判所の判断)

弁護人は、被告人株式会社友華堂(以下「友華堂」という。)の判示の両事業年度(昭和五八年三月二一日から同五九年三月二〇日までのものを「五九年三月期」という。他も右の例による。)における修正損益計算書中の後記で検討する特定の勘定科目について、収益又は費用の年度帰属を争い、また、被告人安野にはほ脱罪成立のための故意がなかった、あるいはそもそも不正の行為がなかったとし、仮にあったとしても割賦販売に係る未実現利益の繰延計算により過大申告所得が生じ、「対等額」において相殺されるべき関係にあるので結果的にほ脱所得はなくなり、被告人らは無罪である旨主張し、被告人安野も当公判廷においてこれに副う供述をするが、当裁判所は、右主張を採用せず、判示のとおり有罪としたので、以下それらの理由を説明する。

一  判示第一の事実(五九年三月期)について

1  期首商品・製品たな卸高の除外(四六五六万七五二五円)及び期末商品・製品たな卸高の除外(六〇七七万二五〇円)について

(一) 弁護人は、友華堂のたな卸額の調査は厳密になされておらず、かつ、その公表額についても不正確、杜撰なものであった事実が認められるが、公表たな卸額が所得額を隠ぺいする意図に基づいて算出されたものではないと主張する。その理由として、当期においては、期末除外額が期首除外額を大きく超えるので、所得額の隠ぺいの意図を推測し易いといえるのであるが、翌期をみると期末除外額は二五六八万七〇〇一円に過ぎず、期首除外額六〇七七万二五〇円を大幅に下回り、これを意図的行為とみるというのであれば、所得額を過大に計上するための意図的行為とみざるをえないところ、そのような理解は不自然であるという点をあげる。

(二) ところで、法人税ほ脱犯は、故意犯であるから、犯罪が成立するためには、当該構成要件に該当する事実の認識(結果については更に認容も)がなければならず、当然所得の存在についての認識も必要となるところ、所得は多数の勘定科目から成り立っており、その一々について正確な認識を要求することは困難であるから、それらの科目について個別的に正確な認識を必要とするとまで解すべきではなく、おおよその所得の金額を認識するに足りる程度の科目の存在及び数額について認識があれば足りると解するのが相当である。したがって、それ以上に弁護人の主張するような特別な意図や目的が所得の認識に当たって必要となるわけではない。

(三) そこで、右見解に基づいて、右たな卸高除外の経緯及びこれに対する被告人安野の認識状況について見てみると、当時専務取締役であった被告人安野の実弟安野昭三は、「ウラ資金を捻出するということではありませんが、利益が出たということで、社長からの指示で毎期利益を調整して来ました。具体的には、一、たな卸金額の除外、これは、印鑑を通信販売方式で売上するようになってから(昭和五四年三月)、印鑑売上がだんだんと伸びて来て、昭和五七年の決算期に利益率が良く、利益が相当出てしまうというので、税金対策から社長の指示でたな卸金額を除外するようになったわけですが、その時社長は、『税金が大変だ、たな卸金額を落して税金を少なくする』と言って、確か私が四〇〇〇万円から五〇〇〇万円を落としたのが、その時初めてで、それから以後毎期たな卸金額を落して来たわけです。」と供述しており(61・9・30付質問てん末書、問9)、さらに、「(差押えられた『60年分在庫高一覧表入り袋』には、)真実のたな卸表と帳簿上計上したたな卸表の二つが入っており、……帳簿上計上したたな卸表には印鑑、日本近代美術社、ベルーナ、各部門とも商品の数量を少なくしたり、全く除外したりして作成しております。」、「社長からはたな卸除外の指示が毎期ありましたものですから、すぐにはわからない単価を調べてみる等しても、除外することは目にみえてわかっていますので、あえてみなおしたり計算しなおしたりはしませんでした。」、「真実のたな卸表には(商品は)全て計上してあります。いったんは、正しい利益金額を見るために計上している訳です。」(同62・6・4付質問てん末書)とも供述しており、同人の供述内容は、〈1〉たな卸除外は、被告人安野の各期毎の指示で行われており、それは、「税金を少なくする」目的であった、〈2〉除外の最初は五七年の決算期であった、〈3〉除外の方法は数量除外によった、〈4〉真実のたな卸表をも作成はしており、正しい利益金額を見ていたというものであり、被告人安野において、たな卸高のほぼ正確な数額及びその除外額を認識していた事情を認める供述となっている。これらの点について、被告人安野は、「六〇年三月期以前の決算ではたな卸金額について専務……に対し期中の営業成績を目安にしてたな卸金額を押えるよう指示していました。具体的な金額については、私と専務は十数年来一緒に同じ仕事をしていたため、営業内容は専務もよく知っていましたので、アバウトな話をすれば足りた訳なのでしませんでした。」(61・10・2付質問てん末書、問4)、「(五九年から六一年の申告が正しくない理由は、)この業界は脆弱なものですから、まず、会社にパワーをつけなくてはなりません。……そのため悪いとは十分承知しながら印鑑売上や手芸品などの通信販売売上の一部除外を行っていたほか、……利益調整を行って各事業年度の所得を隠ぺいし、法人税を少なくしていた……」「(その不正内容は)、〈1〉印鑑売上除外、……〈4〉たな卸除外です。」、「たな卸(については、)各事業年度分についての除外額は元専務にまかせたものですから判りません。」(同61・10・21付質問てん末書、問4ないし問6)と供述して、法人税を少なくするとの意図の下に、包括的な指示を与えていたとしていたが、更に、「たな卸関係は、前専務安野昭三の職務分担です。前専務から決算の終わった四月ころ、三月二〇日で〆めた各部門ごとの正しいたな卸金額の報告が私宛にあります。私は今期の利益をどのくらいにして申告するかを決め、利益調整をする科目と金額を念頭においてたな卸金額はどのくらい除外するかを考え、前専務に対し、『このくらいの金額におさえられないか。』と話をします。前専務は私の指示を受け、指示した金額になるよう改算し、その結果を私に連絡があります。」(同62・4・8付質問てん末書、問2)として、実際には正しい金額の報告を受けた上で、除外について具体的な数額まで指示したことを認める供述をしている。(検察官に対する供述調書も、友華堂設立当時の昭和五三年三月期から既に除外していたとの点を除き、ほぼ同旨。)

右両名の供述内容は、ほぼ合致しており、不合理な点は認められず、他の関係証拠とも矛盾するところがない。

してみると、被告人安野は明らかに「利益調整」という、すなわち所得を圧縮する目的(売上原価の過大計上)で、安野昭三を通じてたな卸除外を行っていたものであり、その際正しいたな卸金額の報告を受けてこれを認識していたのであるから、故意の成立に欠けるところはないといわなければならない。また、右の点からすれば、弁護人の主張する所得隠ぺいの意図も認められるところである。

なお、被告人は、当公判廷において、「衣料品関係は時期が過ぎれば、とにかく価値が大幅に下落するというふうなものですから、その辺も十分考えてたな卸しのほうはやってくれというような指示はしたと思いますけれども。」(速記録258丁)として、税法上許容されているたな卸資産の評価換えを指示していたに過ぎないとも受け取れる内容の供述をするが、前記供述内容及び現に反復してきた除外方法に照らして同人の右供述は到底措信できない。

(四) 弁護人は、前記のとおり、翌期(六〇年三月期)において、客観的に見て売上原価の過大計上がなされていないので、不正行為も所得額隠ぺいの意図もなかったということを立論の前提としていると解されるが、前記(三)で認定のとおり、被告人安野には、明らかに所得圧縮目的があったのであり、まず前提の一つ(所得額隠ぺいの意図がないとする点)が失当であると言わなければならない。次に、売上原価が過大に計上されなかったという点は、結局翌期において、前期の期末たな卸除外金額をそのまま(簿記会計上の当然のルールに従って)翌期首に引き継いだ点にあり(すなわち前期末のたな卸金額を翌期首のたな卸金額としたものであり、そうしなければ、前期における除外が容易に発覚することになる。)、本来的には翌期の期末たな卸除外は売上原価の過大計上の一要因であるのであるから、不正の行為(なお、虚偽過少申告事案における実行行為としての「偽りその他不正の行為」が、過少申告行為それ自体であることについては、六三年九月二日最高裁第三小法廷決定参照)としての実体を有するものというべきである。しかし、実際には前期から引き継いだ期首たな卸の除外金額のほうがより大きいことによって、結果的に売上原価の過大計上にならない、すなわち因果関係がないというに過ぎない。

したがって、弁護人の主張は、いずれにしてもその前提を欠いており、採用の限りでない。

2  広告費(一八三二万九〇八〇円)及び印刷費(二七〇六万円)の繰上計上について

(一) 弁護人は、その冒頭陳述において、まず広告費の経理処理の実態は、事業年度の終りに近接した極く短期間の間において遅れて届けられる広告費の支払請求書を、これを当期中のものとして経理処理をするいわゆる単なる繰り上げ請求に過ぎず、事業年度末に近接した期間の経費を当期に繰り上げて経理することは、厳密な意味における会計原則には反しているが、企業の健全な運営を図る意図から往々にして採られている手段であり、企業継続の原則に立脚して考察するかぎり、所得額の把握もれが生ずる余地はないので、単一税率が適用される法人税法のもとでは、終局的なほ脱を目的としてた意図的行為、犯則行為と捉えることは相当でない旨を、更に印刷費についても、広告費同様、期末に近接せる期間における実印印刷費の単なる繰上経理処理であって、犯則行為と捉えることは相当でない旨を主張する。

また更に、その最終弁論においては、右冒頭陳述の内容とはやや趣旨を異にする主張をする。すなわち、広告費について、友華堂においては、各事業年度内に、チラシによる宣伝広告の配布を全国の広告代理店に注文していたところ、友華堂の都合により三月に実施すべきものが延期せざるを得なくなったものであり、その実施が翌四月に延期されたものに関しても、当初の注文どおりの実施を前提として代理店に費用を支払ったという広告費としての損金支出であって、右は、具体的な当期内のチラシ配布日時を広告代理店に指定して注文したのちにおいて、偶々その実施の時期を一か月程度の範囲内の日に延期変更したことにより、その実施が翌年度になったという事案に過ぎず、このような事案における当期損金としての広告費の計上は、企業会計原則の取扱いからも許容されるものであり、印刷費についても同様である旨主張する。

(二) そこで検討するのに、まず冒頭陳述の主張は、法人税法における課税所得が「各事業年度の所得」(法五条)と、そして、その課税標準が「各事業年度の所得の金額」、(法二一条)と定められていることから明らかなように、各事業年度を単位として期間計算により損益を算定すべき(法二二条)ものとしている同法の基本的な原則に抵触しており失当である。

仮りに、右主張が法人税法上許容される例外的な場合に該当する趣旨のものであると解したとしても、その要件として、「極く短期間」の「繰り上げ請求」とするだけでは、例外的な取扱いを認めるに足りる要件としては不十分であり、恣意的な期間損益の操作を許すこととなり、課税の公平性を害することは明らかであるから、その主張自体が失当である。

友華堂における広告費及び印刷費の経理処理は、後記認定のとおり、結局のところ、費用をより多額に計上して所得金額を圧縮しようとするものであって、「繰り上げ請求」を行うことについて、課税上格別相当とすべき理由はなく、継続性や重要性の原則に照らしても、合理的な理由は見出し得ないのであって、法人税法許容し得る例外的な経理処理とは到底認めることができない。

(三) 次に、最終弁論における主張を検討する。

(1) 友華堂における宣伝広告の実状及びその経理処理について関係証拠を見てみると、専務の安野昭三は、「ウラ資金を捻出するということではありませんが、利益が出たということで、社長からの指示で毎期利益を調整して来ました。」として、その一つに「広告宣伝費の過大計上」を挙げ、「これも利益調整のため社長がやったことですが、翌年四月分の広告宣伝費を決算期の三月二〇日までにやったことにして広告宣伝費を実際より多額に計上していたことです。まず六〇年三(月)期の時、社長が佐藤政子さんの作成した試算表を見て利益を低くするため、広告費を使おうと言って三億円位を見込んで使おうとしましたが、五千万円位が使いきれず、その五千万円を三月二〇日までに広告(チラシ)したことにして経費に計上したと社長から聞きました。広告代理店に社長が自分で日付などを四月分なのに三月二〇日までのこととするように依頼をして領収証、請求書などを仮装していたということです。六一年三月決算期については、私は退職して良くわかりませんでしたが、今年の八月頃大宮税務署の調査があったということを経理担当の佐藤政子さんから話を聞き、その時六一年三月の広告費が五億円もあり、実際はそんなにない旨でしたので、私も会社で仕事をしていた時、広告費の状況を知っていましたので、最大ギリギリ一ヶ月広告費を使ったとしても三億円以上には絶対ならないと思い、二億円は仮装して経理したと思いました。」(61・9・30付質問てん末書、問9)「広告宣伝費については社長本人がやっていましたのでわかりませんが、社長や佐藤政子さんの話から(六〇年三月期は)約五〇〇〇万円位やったという事を聞いています。具体的にどこ(の会社)がいくら(の金額か)という事はわかりません。」(61・10・23付質問てん末書、問26)と供述して、直接自分は関係していないが、被告人安野が広告宣伝費を「利益調整」(要するに利益を減らす)目的で過大に計上していたことを認めている。経理を担当していた佐藤政子は、「税務署の最初の調査があった日から一週間位たった前後頃、社長から『ちょっと社長室にきてくれ。』といわれ、そこに行くと、『この○印のものを何かに書きかえるように。』と言われ…た。事務用箋にはベルーナの通信販売による受取人払いの申込ハガキの枚数、金額、そして日付がずーっと書いてあり、その日付のワキあたりに○印の表示がしてありました。……(従業員の)三須さんには切手代のような通信費科目で○印のところを出納帳を書きかえるようたのみ、田中さんには、その○印の分の申込ハガキを別にはずすようにたの(んだ)。……(出納帳を書き直したことは、)折込チラシに関係があるものと思います。○印をした日の分の受注分をない事にするわけですから、この受注文のチラシを決算前に経費にしてしまったためそれをわからなくするように私にたのんだものと思います。」、「社長からたのまれた時は(意味が)よくわかりませんでした。というのは広告宣伝関係は社長が自分でやっていましたので。」(61・10・3付質問てん末書、問14~18)と供述して、具体的な経理処理自体は述べていないものの、税務署調査後の証拠隠滅工作の実体を認めることによって、やや間接的ではあるが、過大計上の存在を窺わせる内容となっている。

もっとも、以上の供述は、専ら六一年三月期に関してであり、安野昭三の供述も明示的には、六一年三月期と六〇年三月期とについて触れているに過ぎない。

(2) 他方、被告人安野も、前記供述とほぼ同趣旨(資金繰りを楽にしようとして、当期分の税金を少なくするために、翌期分の広告費、印刷費を繰上計上していたこと、調査開始後、証拠隠滅工作をしたことなど)の供述をしているが、それは六一年三月期に関してのものであった。すなわち、「(会社の申告は、)売上を除外したり、広告宣伝費の一部翌期のものを決算におりこんで経費として処理しました。」、「資金繰りが大変な事。そして五一年に一度倒産しておりますので、ある程度会社にパワーをつけ対外的に信用を得たいのでやりました。」、「六一/三期にやりました。三月二〇日決算なので、それ以降のものを決算におり込み経費としました。チラシの印刷代と折込料です。」「(金額は、)印刷代が一枚四円、そして、おり込み料が地区によって三~四円位ですので、両方を加えてもらい、おり込み部数に掛けてもらえばわかります。」(61・9・30付質問てん末書、問18~29)、「(六一年三月期分の過大計上一億五〇〇〇万円位は、)私の財布の中にあった『三月度予定表』を見れば判ります。」「この予定表は、左欄に配布地区名が書いてあり、上欄の左欄から右にかけてはチラシ配布月日が書いてあります。……二月二五日から五月二〇日の日付はチラシを配布した日付です。……実際に配布したものは○で囲んであります。……ですから三月二五日欄以後の配布部数を三月二〇日までに配布済として費用に経常した部数が昨日申し上げた一億五〇〇〇万円位に相当するものです。」「営業成績が向上したが資金繰りが大変だったため、悪いこととは思っていましたが、税金を後回し(少なくすること)にしてその分を運転資金に充てようとしたためです。」(61・10・2付質問てん末書、問5~9)、「(折込配布手順等は、)(商品構成を考慮したチラシの)組合せ表と……折込屋へ発送するための『折込依頼書』を印刷会社へ送付します。これと同時に別個に折込屋に指示書を送付します。……印刷会社はチラシの印刷が終ると折込依頼書に基づき折込屋へ転送します。……折込屋は転送されたチラシを先に送付してある指示書により一般ユーザーに配布します。」、「印刷会社からは折込屋へ発送が終了すると印刷代の請求がきます。支払は原則は毎月二〇日締の翌月一〇日払いで三~五ヶ月サイトの手形を振り出して支払います。」、「折込屋の支払は特に締日はなく、折込が終ると随時請求があり、その都度銀行振込で支払っています。請求は書面でくる場合と電話でくる場合があります。」、「(朝日サービス社の請求書には折込月日が三月一八日と記載されていることにつき、)これは配布予定の日を書いて請求してくるのが業界のしきたりですのでこうなっていると思います。」、「申し訳ありません。(株)朝日サービス社へは私が先方に折込予定日で請求するように依頼したものです。これ以外にも折込予定日で発行させたものが約一五社位あります。また請求書のこないところのものについても、翌期のものを繰上げて経費としていました。」、「(印刷費についても、)チラシの印刷は、日本印刷と三和実業に依頼していますが、このうち日本印刷の分について折込と同様に六一年三月二〇日までに印刷の終っていないものについて折込予定日に終了していることにして請求書を書いてもらいました。」、「たしか六一年三月一五日頃だったと思いますが、(日本印刷の)馬渕さんが当社へ来たときに六一年三月期の利益を少なくしようと思い頼みました。」、「資金繰に常時苦しんでいます。そこで、悪いこととは思いましたが、六一年三月二一日以降五月までの分を六一年三月期の経費として計上し、利益を少なくすることにより脱税をして、税金分を運転資金とした訳です。話は別ですが、先日申し上げた『申込ハガキ』を親父の実家へ隠したのは、これがバレないようにと思ってしたことです。……チラシを配布すると大体一週間で六~七割の申込があります。これから逆算されると各地区のチラシの配布日が推測されてしまいます。そこで、この部分だけ隠しても不自然なので税務署の調査があってからすぐに古いものを併せて隠した訳です。」(61・10・3付質問てん末書)「(不正をした分は、)広告宣伝費は六一/三期のみ。」(61・10・21付質問てん末書、問7)と供述していた。

(3) しかし、61・11・13付質問てん末書には、被告人安野が六一年三月期の繰上計上を関係会社へ依頼した状況についての同人の詳細な記載がなされているとともに、五九年三月期及び六〇年三月期分の請求書(数量、単価、金額の記載がある。)を示されて、同人が「朝日折込広告の……五九年三月一九日請求のうち、手書分の請求明細書五九年三月二〇日折込日四枚(金額七、六〇九、四四〇円)と……六〇年三月一六日請求のうち手書分の請求明細書六〇年三月一二日折込日四枚(金額一〇、二三三、五四〇円)と三月一九日折込日三枚(金額七、九八四、六六〇円)合計一八、二一八、二〇〇円も繰上計上していました。現在他の業者でどの位の額かについては思い出せませんが、六一年三月期ほど多額ではないと思っております。」と供述した旨の記載があり、62・7・7付質問てん末書にも、「印刷業者と折込業者二、三件に問い合わせてみましたところ、五九/三、六〇/三期とも六一/三期と同じように繰上計上しておりました。どうも申し訳ありませんでした。これら繰上げ計上した金額については近日中に貴局から関係書類を見せてもらうなどして、その内容を書面にて提出したいと思います。」と供述した旨の記載があり、右供述記載内容に副った同人作成の上申書(62・7・21付)が提出されている。そして、右各記載については、弁護人、被告人からは格別の反証活動はなされておらず(被告人の弁護人に対する供述調書では、広告費調査書の『請求書の仮装を依頼し』、『広告費の水増計上を行っていた』等との記載を争っているが、右自体は評価の問題であり、前記の被告人安野の具体的な供述記載が争われているわけではない。)、任意になされたことに疑問を容れる余地はなく、信用性も認められる。

してみると、被告人安野の右供述に従って、五九年三月期及び六〇年三月期も六一年三月期とほぼ同様の方法で繰上計上をしていたことが推認できる。

そこで、五九年三月期及び六〇年三月期についても、被告人安野において、当期内に折り込む予定あるいは印刷予定のものについて、未だ実際にはそれらが折り込みあるいは印刷がなされていないにもかかわらず、税金を少なくする目的でそれらが終了したものとして請求書を提出してもらうなどして、費用として計上したものと認定することができる。右認定は、被告人の検察官に対する供述調書の記載内容とも合致している。

(四) そうすると、問題は、右のように当初折り込みあるいは印刷予定とされていたものが、実際には当期内に行われなかった場合であっても、法人税法上、当期の費用として計上することが許されるかどうかということになる。

ところで、法人税法上、損金である費用の計上時期は、同法二二条三項により、「償却費以外の費用で当該事業年度終了の日までに債務の確定しないものを除く」と規定されており、これをもって一般に「債務確定主義」と呼んでいる

右「債務の確定」の意義につき、検察官は、国税庁長官制定に係る法人税基本通達二-二-一二並びに東京国税局直税部訟務官室長原一郎作成の鑑定書及び同人の証人としての当公判廷における供述(鑑定書及び供述を合わせて、以下「原鑑定」という。)を採用して、「債務の確定」には、次の三要件が必要であり、本件の場合は第二の要件に該当せず、広告費、印刷費は当期の費用とならない旨を主張する。

すなわち、「債務の確定」には、〈1〉当該事業年度終了の日までに当該費用に係る債務が成立していること(債務の成立)、〈2〉当該事業年度終了の日までに当該債務に基づいて具体的な給付をすべき原因となる事実が発生していること(給付原因事実の発生)、〈3〉当該事業年度終了の日までにその金額を合理的に算定することができるものであること(金額の明確性)の三要件を充足することが必要であるが、本件では、当期内に広告、印刷は実施されていなかったのであるから、右〈2〉の給付原因の発生はなく、債務は確定していないと説く。

これに対し、弁護人は、日本大学法学部教授松沢智作成に鑑定書及び同人の証人としての当公判廷における供述(以下「松沢鑑定」という。)を援用して、「債務の確定」には、当該費用に係る債務が成立し、金額まで確定していること又は少なくともその金額が合理的に算出できるものであれば足り(右〈1〉、〈3〉の要件)、更に加重した要件(右〈2〉の要件)は不要である旨を主張する。

そこで検討するのに、前記の法人税基本通達は、その性質上一般国民を直接拘束するものではない以上、直ちにこれによることは許されないというべく、あくまで法の規定する「債務の確定」とは何かを審究する必要がある。

おもうに、「債務確定主義」が採用された理由は、原鑑定が指摘するとおり、税法上における費用計算も、企業会計上におけるそれと同様、いわゆる発生主義の原則によるから、むろん未払費用の計上を妨げるものではないが、かといって企業が無制限に費用の見越計上をすることを認めるとすれば、課税所得の計算が著しく主観的、恣意的に流れて課税上の弊害が大きく、公平を保てなくなることに留意し、一定の制限を付して、任意の引当金や見越費用の計上を原則として禁止しようとした点にあると解される。

そうだとすると、松沢鑑定が主張するように法的な存在としての債務が成立し、かつ金額が確定することという二つの要件によって、引当金や見越費用の濫用防止は十分であるとの見方も可能ということになろう。してみると、三要件まで必要ではないのではないかとも思われる。

しかしながら、徴税政策上の技術的見地からすると、費用においてもその確実性及び客観性が課税の公平確保の見地から要求されるものと解されるところ、右の点からすると、単に当事者間において契約が成立、すなわち債務が発生し、その金額も確定したとするだけでは、第三者たる課税庁において把握するに足りる確実性及び客観性において十分でないと考えられる。したがって、本件のような広告及び印刷という役務の提供の事例にあっては、抽象的な要件を通達のように表現するか否かは別としても、第三者たる課税庁が把握するに足りる確実性及び客観性を備えたと言いうるためには、当該役務提供が原則として終了していることが必要と解される。そう解しないとすると、極端な場合、何年先の広告及び印刷であっても、松沢鑑定の要件に従えば、当期の費用として計上が許されることになる。そうなれば、節税を願う納税義務者としては、継続的な取引関係に立つ広告、印刷業者に対して当然何年先もの注文を出すことが当然予測されよう。その結果、課税の公平性が害されることは明らかである。「債務」という法的な基準に則って、その成立及び金額の確定を要件とするだけでは十分でないと考えられる。(なお、昭和四九年五月八日第一小法廷決定が、所得税法の事案についてではあるが、「債務の確定」につき、通達の三要件を前提に判断していると考えられる点につき、昭和四九年度最高裁判例解説11頁以下参照。)(松沢鑑定が指摘する「権利確定主義とパラレルに債務確定主義を打ち出す。」との基本発想に従った場合、「権利確定」が一般的に契約の成立と金額の確定で足りると考えられていない点において、その整合性に若干問題があると考えざるをえない。同じような思考方式を採用しながら、各種契約類型ごとに、法的見地に立って詳細に分析検討し、双務有償契約(広告、印刷もこの類型に含まれる。)の場合には相手方債務の履行(用役の提供)を要するとの結論を導いた渡辺伸平「税法上の所得をめぐる諸問題」75頁以下参照。)

以上のとおりであるので、前記広告費及び印刷費は、当期内に折り込みあるいは印刷がなされていない以上、当期の費用として計上することは許されない。そして、前認定の事実関係からすれば、格別右の例外を認めるべき事情も窺い得ない。

よって、右に反する弁護人の主張は採用しない。

3  給料手当(一二七八万八六九〇円)の架空計上について

(一) 弁護人は、公表上の給付手当は実質は役員報酬であるとして、これらは友華堂の取締役である安野愛顧ら四名に対して、株主総会及び取締役会の議決に基づき適式に支給されたもので、源泉所得税等も適式に控除しており、ただ控除残額を全額交付したのではなく、一部被告人安野が預かっていただけなので架空計上ではない旨主張し、被告人も当公判廷において、これに副う供述をする。

(二) そこで検討するのに、右は、真実問題とされている給料手当又は役員報酬が全額安野愛顧らに支給されたものであるか、換言すれば被告人安野において同女らから預かったものであるのかという事実認定の問題に帰着する。(支給されたものが給料手当か役員報酬であるかは、金額の相当性が問題とされていないので、真実支給されていれば損金に算入されるところであり、その性格をせんさくする実益はないと考える。)なお、弁護人は、昭和六二年七月七日の査察調査の終局段階に至って、被告人がこれを預っているものではない旨認めるに至っているが、これは「収税官吏の脅迫に類する調査に止むなく迎合した結果」である旨主張しているので、一先ず右の供述を除いて検討することとする。

(三) まず、次の基本的な事実関係については、被告人、弁護人は争っておらず、証拠上も明らかなところである。

(1) 問題となっている支給対象者は、被告人安野の母安野愛顧、姉内田つね子、同安野文子、妹佐藤政子の四名であって、これらの者は友華堂の取締役である。

(2) 公表上の各人への総支給額は、四二〇万円(月額三五万円)であり、合計額は一六八〇万円である。

(3) 実際に各人に手渡された総支給額は、安野愛顧一二万円(月額一万円)、内田つね子五三万九九一〇円(月額三万円、一二月は二〇万九九一〇円)、安野文子一八〇万円(月額一五万円)、佐藤政子一五五万一四〇〇円(月によって金額が変動)である。

(4) 右(2)、(3)の差額(一二七八万八六九〇円)が問題の部分であり、これは被告人安野が、実弟の安野昭三、のちには経理担当の佐藤政子から直接受け取っていたものである。

(四) そこで、問題の支給対象者側の友華堂での役割及び右差額に対する認識状況について見てみると、(1)安野愛顧は、「ここ五、六年以上ずっと会社へは行っていませんし、何もしていません。」、「会社の帳面から私に月々でている三五万円とか二〇万円については、国税局の調査のあった後、清(被告人)から会社の帳面からでている金額でもらった事にしておくように、そして、帳面上でている金額と実際にもらった金額との差額は清が預っているように話するように言われました。」(62・3・18付質問てん末書)、「はっきりとは覚えていませんが、政子から聞いて友華堂の経理上では、私の一か月の役員報酬が三五万円になっていることは知っていました。会社の経理上、役員報酬の額を多くしておくと、それだけ納める税金が少なくて済むため、会社の経理上では、三五万円としているものと思っていました。私は取締役と言っても何の仕事もしておらず、……私がその差額分を貰えるなどと考えたことは一度もありませんでした。」(63・6・7付検面)と、(2)内田つね子は、「仕事は、月に五日ぐらい友華堂の本社や社長の自宅へ行って、ダイレクトメール用のパンフレットを袋詰めにして……います。」「月三万円とその外に盆と暮に一五万円ずつもらっていました。しかし友華堂の帳簿では私に月額三五万円の給料を支払ったようになっていると思います。」「五六年頃だったと思いますが町内の納税組合費(の関係で)……社長から『三万円の支給しかしていないが会社の帳簿では月額三五万円を支給したことになっているので了解してくれ。』と話があり知った。……」(62・1・20付質問てん末書)、「(昭和六一年九月三〇日当時)、友華堂の経理上の役員報酬額と私が実際に受け取っている役員報酬額との差額を友華堂の方から貰えると考えたようなことは一度もなく、また、その差額を清に預けていると考えたこともまったくありませんでした。会社の経理上、役員報酬の額を多くしておくと、それだけ会社の経費がかかるということになり、納める税金が少なくなると考えて、公表上の役員報酬額を多くしていたと思っていましたので差額分を私が後日もらえるなどと考えたことは全くなかったわけです。」(63・4・12付検面)と、(3)安野文子は、「ベルーナ……の返品された商品を預るという仕事をしております。」「給料は、……手取で一五万円です。」「会社の帳面には毎月三五万円でのっていると思います。」「このような差額は五六年三月の確定申告の時からであったと記憶しています。」「(差額について)別に説明はありませんでした。……会社の税金の為にしたのかなあと思っております。」(61・9・30付質問てん末書)、「昭和五九年ころまで……印鑑を発送する仕事を行っていましたが、(その後は)、ベルーナのカタログの発送など(していました。)」「実際に受け取っていた役員報酬は、……一か月一五万円でしたが、……経理上では……三五万円になっていることは、……聞いて知っていました。会社の経理上役員報酬の額を多くしておくと税金対策上有利になり、納める税金が少なくて済むため、……していると思っていました。……差額分を私が貰えるなどと考えたことは一度もありませんでした。」(63・6・7検面)と供述している。そして、(4)佐藤政子は、「六〇年四月以降は月五〇万円、……(それ以前は)月額三五万円で手取額では二五万円位となります。」、「現在では五〇万円受け取っているのが正しいものです。出納帳に一〇万円と記帳しているのは主人……に見せるためのもので、差額は、……着物とかの購入に使っています。」(61・9・30付質問てん末書)と供述していたが、その後「六〇年四月二五日支給分以前は月三五万円で、それ以降は月五〇万円という事になっています。しかしこれは表面上だけです。社長からその時々により違いますが、一〇万円位もらったり、五万円位もらったりでした。」「(給料計算は)五九年六月から私が担当しています。」「(差額分について)夜遅くまで忙しく仕事をやっているような時、数回、社長が私に『会社が大きくなって安定するようになったらなんとかするからな』といわれたように思(います。)」(61・10・2付質問てん末書)、「仕事は、総務と経理関係で(す。)」「差額分を役員報酬ないし給料としてもらえるなどと考えたことは一度もありませんでした。」「査察が入った当時、兄が役員報酬などの差額分を預かっていたようなことがなかったのは間違いないことです(。)」(63・3・7付検面)と供述内容を変更し、架空計上を認めるに至った。

右四名のうち、佐藤政子を除く三名の供述内容は、〈1〉以前から差額があることは知っていたが、差額分を貰えるとは思っていなかったとする点、〈2〉右差額は、会社の税金を少なくするためのものと思っていたとする点で相互に合致しており、会社での役割などからみても、現実の交付額が報酬額と考えることは不自然でなく、各供述の信用性は高いというべきである。右佐藤政子の供述も、当初友華堂に不利な事実は否定していたものの、売上除外などについて種々の証拠書類が発見されて、これらを提示されて行く中で、架空性を認めるに至ったもので、査察官などの脅迫があったことは窺えず、信用できるものと考えられる。なお、安野文子は、当公判廷で被告人安野からいずれはマンションを買ってあげるとの話を度々聞いたことがある旨供述し、また、佐藤政子も捜査段階とほぼ同旨であるが、「はっきり給料の差額だということではないんですけれども、会社のほうが安定したときにやるということは聞いてました。」と供述するが、話の内容自体がかなり漠然としたものであり、具体性や確定性に乏しく、そのようなことを考えていたという一事をもって被告人安野が差額を預かっていたとすることはいささか飛躍に過ぎ、報酬の架空性のに判断に格別影響を与える事柄ではないと考えられる。

(五) 進んで更に、報酬を各人に支給した後、被告人安野に差額を渡していた安野昭三の供述内容を見てみるに、「(正しい申告でないのは、)まず社長がウラ資金を捻出していたことで、具体的には、一、印鑑の……売上除外、……三、役員の給料を水増し計上してその資金を社長が受け取っていた。実際の給料支給額は、内田常子……三万円位、安野文子……一五万円位、佐藤政子……九万円位、安野愛顧……一万円位であるのに、帳簿上過大に計上していたということです。なお一人当り三五万円位を計上してあったと思いますので調べて見てください。以上のとおり、すべて社長の指示でウラ資金を捻出して、社長が全部もらっていたということです。」(61・9・30付質問てん末書)「(各人は、月々の報酬額を)知らないはずです。ただ五六年秋頃に税務署の調査があった時、役員報酬のことを調べられれば困るので、各人に『帳簿上支払っている金額を話し、もらっていることにしておいてくれ。』と私がたのみましたので知っているかもしれません。また五六年のいつ頃か忘れましたが、内田つね子さんのところへ報酬を届けに行ったところ、内田さんから町内の組合費を集める時、私の年間収入が実際もらっている金額より多くなっているようなので……といってその理由を聞かれたことがありました。」「(社長は、差額について、)『このお金は、俺がとるのではない。会社が困った時に使うのだ。』といっていました。」「(社長は、)五五年一一月頃から安野愛顧ほかの役員報酬をつくりだし、帳簿上と実際支給額との差額をうかしはじめました。私も最初は『俺がとるのではない。会社が困った時に使うのだ。』ということを信じてやっていましたが、だんだん時がたつごとにうかした金を社長が使っていることが見えてきましたので、社長に話をしたことが、私が友華堂をやめるまでの間三、四回ありました。最初の頃は社長は黙って何もいいませんでした。社長が自宅を新築した五九年の一一、一二月頃また話したところ、今度はいなおってきて、『俺だって今まで相当苦労してきたんだ。いい思いしたっていいだろう。そのうちにお前の家を建ててやる。』といいました。その後私の家の話など全々なくなり、……友華堂をやめました。」(62・4・2付質問てん末書)「兄は、役員報酬の架空計上を行うようになった当初私に『みんなのために公表金額との差額をためておいて、いずれみんなのために使う。』などと話したことがありました。ところが兄は、昭和五七年ころから個人の土地を買うようになったので売上除外をしたり、役員報酬の架空計上をしたりした金で土地を買っているのではないかと疑問に思い、……問い正したことがありました。……兄は、……架空計上分について、『姉さん達に金をやるつもりは全くない。俺も今まで苦労してきたんだから少しくらいいい思いをしてもいいだろう。』といって、……逆の話をしたのです。……(安野愛顧ら名義の預金について)マル優の関係で兄の名義で預金することができなかったため、安野愛顧らの名義を使ったにすぎず、その預金を安野愛顧らのために使うなどという気持ちは全くないと判りました。」(63・3・8付検面)というもので、査察開始時に既に詳細に「水増し計上」である旨を述べ、以後一貫してその内容は変わらず、その他の関連する諸事情についても体験者でなければ語り得ない特異な事実関係を自然な形で供述しており、殊更な作為や誇張は全く窺うことができないので十分信用することができると考えられる。以上からすると、被告人安野を除いた関係者の供述だけを総合しただけで、優に役員報酬が架空計上であることを認定することができるところである。

(六) 最後に被告人安野の供述内容を検討することとする。

まず、問題の昭和六二年七月七日の供述前の供述内容の経過を見ると、被告人安野は、「(会社の申告は、)正しくありません。売上を除外したり、広告宣伝費の一部翌期のものを決算におりこんで経費として処理しました。」「売上と売掛金が落ちるソフトをつくってもらいました。」(61・9・30付質問てん末書)、「すみません。……それ以外にも印鑑の売上を除外したことがありました。」(61・10・1付質問てん末書)、「(不正内容は、)〈1〉印鑑売上除外、〈2〉コンピュータのソフトを使った売上除外、〈3〉広告宣伝費の繰上げ計上分、〈4〉たな卸除外です。」(61・10・21付質問てん末書)、「脱税を図っていることは、)今まで述べたこと以外ではありません。(本当に)ありません。」「(しかし、実は、旅費交通費も、)正しいものではありません。」(61・10・24付質問てん末書)と供述して、査察調査の進展に応じて、少しずつ友華堂の不正経理の内容を認める供述をしていた。そして、役員報酬については、「私が他社の役員報酬がどれ位か聞いて、おおよその相場を調査し、各役員の会社に対する貢献度を加味して、前専務の安野昭三と相談しきめていました。これについては特に記録等をしていませんでした。」「確かに実際に支給している金額が少ない者がおります。これは会社に万一のことがあった場合に備えて、会社の体質を強くするために私が預かっております。」「私の場合は、各人に支給して勝手に使われては困るので個人で預っていました。」「預かり証とかの記録や書類は一切ありません。」「各人に預っていることを周知徹底していなかったことは私の責任であり申し訳ありません。」(62・3・19付質問てん末書)として、「会社の体質を強くするため」、「個人で預っていた」が、「預り証」とかはなく、(各人に)「周知徹底していなかった」と供述している。そして、その後更に、「当初のうち預かっ人の分については積立定期を毎月太陽神戸銀行桶川支店にしていたように思います。」「安野愛顧、内田つね子、安野文子、佐藤政子名義です。一時期安野昭三名義もあったようです。」、「(これらの預金は、)私が勝手に銀行借入金の担保にしたり、その支払に充てたり、自宅新築の際の費用等の支払にも充てたりし、私個人のお金といっしょに流用していました。また友華堂は五八年一〇月に五〇〇万円から二〇〇〇万円に、六一年八月に二〇〇〇万円から五〇〇〇万円に増資しています。その増資のほとんどは私名義ですので、この方にも私個人のお金と混合して流れているかと思います。」、「(預かった人には、個人的に借用したい旨連絡は、)しません。私一存でやりました。」「(佐藤政子に対し印鑑売上を除外したお金から簿外で給料及び支払をしているが、これは、)一般の従業員と同じように働いた分を日割計算し支払ったものです。」、「会社から私の報酬を月一二〇万もらっても実質手取りは八〇~九〇万円ぐらいになってしまい、銀行借入の返済やら、土地建物など買った支払等に充当すると手元に残る自由になるお金がなくなってしまいます。また我々クラスの会社の社長は大会社とちがって増資するお金もたくわえておかなくてはなりません。悪いこととはわかっていましたが安野愛顧ほか三名の人には少なく支払っていました。私の判断で使用していました。各人から預かっていることを周知徹底していなかったことは私のミスでした。」(62・5・26付質問てん末書)として、「預かって」預金していたが、自己の都合で「流用」してしまったこと、佐藤政子に対しては、わざわざ簿外で、「働いた分を日割計算」で支払ったことを供述している。してみると、同人の供述によれば、「預かっている」とはいうものの、いかに「身内」に対してではあるにせよ、「預り証」とかの書類も作成していなければ、口頭による「周知徹底」もなく、「各人に勝手に使われては困る」が、積み立てた預金は、「私個人のお金といっしょに流用した」というもので、「預かった」にしては、極めて不自然、不合理な内容に終始しており、前記各関係者の供述と照らし合わせるまでもなく、報酬の架空性を認めるのが相当である。

これについて、問題の62・7・7付質問てん末書には、「今までずっと安野愛顧ほか三名分を預かっていたと話していましたが、本当は預かっていたものではありません。」、「安野愛顧(らは)、身内です。また給料計算事務担当も最初は弟の前専務安野昭三で、五九年後半から妹の佐藤政子がやっており、これもまた身内です。身内だと作業員に不正がわかることもありませんし、また税務調査があり、役員報酬の件について調査されてもなんとか言いのがれができると考えていました。貴局の調査が安野愛顧(ら)…におよび、調査された人達は真実を話したようで、私一人『預かっている』と話してみたところでどうなるものでもありません。正直お話しますと、役員報酬について安野愛顧ほか三名分は、私が帳簿上と実際支給金額との差額を私が受取り個人的に消費していました。」「私の自宅の土地を買い増ししたり、新築費用等の支払に私個人のお金といっしょに流用していました。」との記載があり、「預かっていたものではありません。」という点が従来と異なっているが、差額分の使途については、従来述べてきたことと同趣旨であり、架空計上の理由も極めて合理的で不自然な点がない。そして、その記載内容からすると脅迫に類する調査を窺わせる証跡は認められないが、仮にあったとしても、これまでの供述内容からすれば、役員報酬の架空性は優に認められるところである。被告人の弁護人に対する供述調書(第二回)において、「本人達がいずれも女性であり、経済的にも甘えがでて、これを失ってしまうことも懸念されましたので、本人達に対しては当座の小遣い又は生活費であろう金額を渡し、残りは私が預って管理運用してやればよいと考えていた」などと供述するが、前記各関係者の供述に照らして、常識上到底首肯できない内容であり、措信できない。

(七) なお、弁護人の主張は、前記のとおり株主総会及び取締役会の議決の存在を主たる根拠にしているが、それが単に書類上のものであり、実体は被告人安野の単独判断(関係者は形式的に事後に判を押していたに過ぎない。)以外の何物でもないことは、安野昭三など関係者の質問てん末書における供述から明らかである。もっとも、同族会社の実体は右のようなものであるとの弁護人の指摘も一面の真理を含んでいると思われるので、その点をも考慮すると、計上された給料手当が架空のものであるか否かを判断するに当たって、議決が形式上のものに過ぎない点を余り重視する必要もないと考えられる。したがって、議決の存否を採証上重視することは、当をえないと考える。

(八) 更に、国税当局の調査開始後、関係者が被告人安野宅に集まった際、預かっていたことにしておいてほしい旨の依頼が同人からあったのか、それとも、預かっていたので将来渡す旨の話があったに過ぎないのか争いがあるが、関係者の質問てん末書や検察官に対する供述調書の記載内容を総合すれば、被告人安野が預かっていたことにしておいてほしいと依頼していたことは、前後の客観的な事実経過からしても明々白々であり、これに反する佐藤政子や被告人の当公判廷における供述などは到底信用できるものではない。被告人安野は、コンピューターによる売上除外について口裏合せをしたり、売上除外に関する関係証拠を隠匿ないし改ざんさせたりしており、これらの事実をも考慮に入れると、被告人安野の前記依頼は、明白な罪証隠滅工作と言わざるをえない。

以上のとおりなので、弁護人の主張は採用しない。

二  判示第二の事実(六〇年三月期)について

1  売上高

(一) ベルーナ売上分(コンピューター分一億四二二〇万七一七〇円、決算修正分△四九〇二万七四五一円)について

(1) 被告人安野が、専務安野昭三を通じて、エス・アール・シーソフトウェア株式会社代表取締役有明慶晃に友華堂の売上除外のコンピューターソフトを作成させ、ベルーナ部門の六〇年三月期の売上除外(一億四二二〇万七一七〇円)を図ったこと、しかし、確定申告前に友華堂の税理士生田目六寿郎が、売上計上漏れが四九〇二万七四五一円であることを発見し、これを被告人に告げた上で、決算修正を行って確定申告をしたことは、関係証拠上明らかで弁護人及び被告人もこれを争っていない。

(2) しかし、弁護人は、その冒頭陳述において、右四九〇〇万円余の決算修正以外に翌六一年三月期にも生田目税理士が決算修正八九〇〇万円余を行って、確定申告したのであるから、売上除外がなされなかった状態に復したものであり、当初における所得隠ぺいの意図の有無にかかわらず、犯則行為として捉えることはできない旨主張する。そして更に、最終弁論においては、その主張内容をやや変えて、被告人安野は、生田目税理士から売上計上漏れの指摘を受けて、売上げだけを除外しても所得隠しはできないと気付き、税務申告を同税理士に委任したのであるから、この段階において、四九〇〇万円余だけでなく、その残余の部分についても、すなわち一切の所得隠ぺいの意思を放擲したのであり、税をほ脱できるとの認識を喪失した旨主張する。

(3) 右弁護人の冒頭陳述における主張は、法人税における事業年度の区分を無視するもので採用の限りでない。

(4) そこで、最終弁論の主張について、前記一1で述べたと同様の観点で念のため検討することとする。

(5) ところで、前記決算修正の経緯について、生田目税理士は、証人として第七回公判において次のように供述する。

〈1〉 決算書と言いますのは貸借対照表と損益計算書の数字が合わなくちゃなりません。ところが、その数字を乗つけませんと売掛金がその分だけ少なくなってしまう、という根拠から、借方売掛金、貸方売上金という仕訳をしたわけでございます。

〈2〉 (コンピュータから出てくる分の売上げについて一億円減額してると、そういう経理については)一切知りませんでした。

〈3〉 (確定申告する際に数字のつじつまを合せるために四九〇二万七四五一円を売上げとして加算しなければ合わなかったことは)そのとおりでございます。

〈4〉 会社の経理部門で把握しております売上帳及それから手書きの部門で把握しております顧客台帳、それにコンピュータの売掛金残高計算書といった書類だと思いますが、その三つを主に算出したと思います。

〈5〉 (幾らベルーナの売上げが除外されているかということについて、帳簿で把握できるかは、)私の……税理士業と言いますのは、証憑書類の範囲で決算組んだりすることになっておりますから、勝手に私のほうで……、ちょっと無理だと思います。

〈6〉 (四九〇〇万円余の金額が売上除外されていることから、被告会社の意図的な操作があったということは、)思いませんでした。

〈7〉 決算を任されておりまして、決算書を作るまでに非常に時間的な余裕がございません。三月二〇日決算、五月二〇日提出、なものですから、これだけあれだという数字を、時間がまずございません。で、申告は間近に迫っておりますから、決算書を作った後で、社長に「実はこのくらいの誤差がございました」ということを言うに過ぎませんでした。

〈8〉 (これに対して、被告人は)「ああ、そうでしたか」という言葉一つでした。

右の供述は、決算時の事務繁忙な税理士業務の状況を率直に認めるとともに、友華堂から渡される会計書類の数額を基にして、貸借対照表、損益計算書を作成し、数字が合わない場合にはその原因を究明することよりも、全体として整合性のある貸借対照表、損益計算書を限られた時間内で完成することを優先させるという実務の現状を赤裸々に述べており、格別不合理な点は認められず、信用してよいと考えられる。

右供述によれば、生田目税理士は、一億円余の売上除外がある又はあるかもしれないなどということには一切思い及んでおらず、決算期を過ぎ、申告期限を間近に控えて、あわただしい業務処理の中で、不突合額の上乗せを被告人安野に報告し、同人から「ああそうでしたか」との返事一つをもらったに過ぎないということなのであるから、被告人安野に報告した時点から現実に確定申告をするまでの間において生田目税理士が、売上除外の残余の部分について更に決算修正を行う客観的な可能性は事実上無に等しかったと考えてよい。現に同人の決算修正は四九〇〇万円余にとどまっているところである。

他方、売上除外に携った安野昭三は、「毎月二〇〇〇万円、五か月で一億を除外するよう(安野被告人から)言われたので……顧客番号を操作して落とした」(61・9・30付質問てん末書、問9)、「五九年一〇月二二日~六〇年二月二〇日までの除外金額は一億一二七六万八一三〇円になります。」「主にコンピュータ操作ミスによる返品の赤伝票分を重複控除してしまったもの(がある)」「四六〇〇万円ばかり重複分がある。」「コンピュータの売上除外ソフトを使って売上除外した金額、返品分の重複計上分の両方合わせて一億五、六〇〇〇万円位除外してあることを六〇年二月二〇日時点で社長室へ行って私が直接報告しています。また返品の重複分があるという事が判明した時である五九年一一月二〇日過ぎ、六〇年一月二〇日過ぎにも重複分があることを報告しています。」(62・1・17付質問てん末書、問16ないし25)と供述しており、これによれば、同人が直接被告人安野に一億五、六〇〇〇万円位除外したことを報告しているのであるから、被告人安野において除外額のほとんど確定的ともいえる認識が当然あったことになる。

これについて、被告人安野は、「ベルーナのコンピューターの除外が一億円ちょっとだというふうなことを確か聞いたような記憶はしている。」(第一〇回公判、速記調書二四一丁、61・9・30付質問てん末書、問23もほぼ同旨)、「(その後、決算に際し、生田目税理士から)四九〇〇万漏れているんじゃないだろうかと聞いた。その当時数字の認識というのは、はっきりなかったんですけれども、多少まだ残っているんじゃないだろうかというふうな気はした。」(同速記調書二四二丁ないし二四四丁)と供述しており、安野昭三の供述と対比するとかなり後退した曖昧なものではあるが、それでも残存部分の存在及びその大まかな金額について当時認識があったことを認める内容となっている。

してみると、これまで数年間にわたって生田目税理士に友華堂の税務申告を委ね、詳細にであるか否かは別にしても、ある程度その業務の実態や作業内容を知っているはずの被告人安野が、売上除外額の一部を単に「誤差」として気付いたのみで、残余の部分があるなどとは夢にも思っていない生田目税理士に対して、すでに五六年九月ころから印鑑の売上除外をしていた(安野昭三の61・9・30付質問てん末書)にもかかわらず、「ああそうでしたか」(被告人安野の公判廷での供述においても「それじゃ載せておいて下さい」という程度)と一言述べたにとどまり、残余部分について何らその修正をすべき特段の指示をしていない以上、残余部分について修正してもらえると考えたとの事実は到底認めることができず、被告人の応答によって故意の成否に影響があったとは認められない。

(6) なお、右につき、日本大学教授松沢智作成の平成元年二月八日付鑑定書には、「四千万円の売上漏れを税理士に指摘され、爾後、経理決算のすべてを税理士にその処理を一任したのであるから、その段階において、既に一億円に係る結果の発生の認識は喪失したと見るのが相当である。けだし、税理士に指摘されて、売上帳における除外のみでは所得逋脱の目的は達しえられないことを確知して、以後、税理士に決算申告手続を一任し、その後も何ら翌期の売上帳や売掛帳、金銭出納帳等に手を入れてはいなかったというのであるから、逋脱の意思の内容である逋脱の結果の発生の認識が無くなったといえるからである。」、「税理士の説明に異を唱えず、すべて任せる旨述べた確定申告前の段階で、既に六千万円についても逋脱結果の発生の認識を欠き、当初存在していた逋脱の犯意は喪失したとみるべきものであり、『未必の故意』についてもこれを確認できない。」との記載があり、これについて、同人は証人として当公判廷(第九回公判、平成元年五月二九日)で「少なくとも売上除外を、売上帳だけそれを控除していながら、その他をなんらしてないし、それを指摘されて、じゃあとは任せるというようなことで、当該行為者にしてみれば、その段階で、もうこれは脱税できないというふうに見て犯意を喪失したものというふうに見たわけでございまして、もしそのあとの行為が、例えば、それならば売掛帳等その他の勘定科目に手を加えるとか、そういう行為がない限りは、犯意はそこでなくなったんじゃないかというふうに見れると、私は考えました。結果の発生の認識は、もう欠いてしまったというふうに見たわけでございます。」と供述し、弁護人主張に副う指摘をする。そして、被告人安野の弁護人に対する平成元年六月七日付供述調書(右松沢供述後に作成されたもの)には、「私は生田目税理士の指摘を聞いて『そうでしたか』といって、税務申告は税理士が計算したところに従って提出して貰うことをすべて承諾したのです。私としては、コンピューターで売上の一部を入力したことで、売上を除外して所得を隠せたと考えていたのですが、よく考えてみると会社の月賦販売のベルーナの入金は現金で入って来ますが、その現金を抜いて簿外とした訳でありませんから、期末に決算を組めば、売上除外は必ず判明するのであり、税理士が決算を組んで売上洩れと判断したのは当然のことです。私はコンピューターの売上だけを除外しても、所得隠しはできないと気付いたのですが、それ以上は何もせず、所得隠しは駄目だった位の軽い気持ちで過しております。専務の昭三から翌期はコンピューターの売上入力の除外はしていないと聞いておりましたが、翌六一年三月の決算申告時にやはり生田目税理士からベルーナの売上洩れが有る旨指摘されまして私としては前年に販売した分の入金が当期にまたがっていた分であろうと思った次第です。」との記載があり、右主張に副う供述が一応なされていると見ることができる。

(7) しかしながら、被告人安野の右供述はにわかに措信し難い。被告人安野の認識においても、生田目税理士の指摘は一部であって、少なくともそれと同額程度の残余(除外が一億円ちょっとだと聞いた記憶があるとしているのであるから、残余五〇〇〇万円はあることになる)があることを認識していたはずであるが、それにもかかわらず、「所得隠しは駄目だった位の軽い気持ちでいた」とするものであり、印鑑売上除外などを巧妙な方法で行っていた者が、依然除外分の存在を認識しながらそれらの是正が当期においてなされる可能性がないにもかかわらず(生田目税理士は、不突合額九〇〇万円余の数字合せのみを行っており、しかも単なる誤算と理解しており、他に売上除外があることには気付いていない。)、自らは何の解消手段も講ぜずに「(全部について)駄目だった」と考えることは極めて不自然であるからである。当公判廷における供述態度などから見ても、措信し難いところである。

前記松沢鑑定は、被告人安野が「経理決算のすべてを税理士にその処理を一任した」とする点や、「売上帳における除外のみでは所得逋脱の目的を達しえられないことを確知」したなどとする点において、前提判断を異にしており、弁護人の主張ともども採用の限りでない。

(二) 売上繰延べ分(六四五二万九〇〇〇円)について

(1) 弁護人は、その冒頭陳述において、「当期末の直前に被告会社から運送業者を介して発送して消費者に売上げるものにつき、これを翌期の売上に計上したというに過ぎないものであり、いわば売上の計上時期の判断の違いに属するといえるものであり、仮りに被告会社において取り扱われている従来の会計処理の原則からみて若干の相違があるとしても、決算期直前の短期における売上げの繰延べという単なる期間損益の問題であり、犯則所得とすることは妥当でない」と主張する。

更に最終弁論においては、「企業会計原則によって収益計上の時期を出荷時としたという場合における出荷の日とは、販売の目的をもって荷物が出された日を指すものであり、その日までに運送業者に荷物を渡している行為は、単に被告会社保管を一時預っているに過ぎない。」のであるから、当期の売上げに属しない旨を主張する。

(2) まず、弁護人の冒頭陳述における主張については、その趣旨必ずしも明瞭でないが、決算期直前の短期間の売上げの繰延べであるから当然にほ脱犯は成立しないという趣旨と解されるところ、そのような見解は当裁判所の採用するところではないので、同主張に沿って検討する必要を認めない。

したがって、問題は、弁護人が弁論で主張するように当該売上げが当期に計上すべきものか否かということになる。

(3) そこで、検討するのに、まず、専務の安野昭三は、査察調査開始の時点から一貫して被告人安野の指示の下に、三月二〇日までに運送会社から発送した分の売上げを翌期に繰り上げて経理処理をした旨を供述している。すなわち、「六〇年三月期において佐川急便の小沢課長に、私が会社から電話をして一括払いと至急分を除いた分を三月一〇日頃より二〇日までに発送してくれるようたのみました。決算の時入金がおかしくならないようなところを発送してもらうようたのんだ訳です。例えば会社の帳面上三月二一日や二二日に発送したものが発送日前に入金となってはつじつまが合いませんので。北海道や九州など遠隔地のものを発送してもらいました。」「(これは、)社長の指示です。毎年二月頃になるといつも社長から指示があります。六〇年三月期の売上の繰りのべ分についてはちゃんと社長室で私が直接社長に話をしています。」「(繰りのべをした商品のたな卸については、)倉庫の担当者に調べさせ、たな卸に加算しています。私はその事について、細かい指示を倉庫の担当者にしています。六〇年三月期においては星野です。」(61・10・23付質問てん末書、問18ないし20)、「決算月にあたり、〈1〉決算期以降の日付、たとえば三月二一日付、二二日付で送り状を書いてある品物をあずかってくれるか、を聞き、オッケーとなれば〈2〉三月二一日付の送り状の品物は実際には三月一九日に発送できるか、三月二二日付の送り状の品物は実際には三月二〇日に発送できるか、を聞き、更にオッケーとなれば、〈3〉決算期以降の日付の送り状で実際には決算期前(三月二〇日以前)に発送したものの請求が四月分にまわせるかどうかを聞き、〈1〉~〈3〉の全部のオッケーをとりたのみました。」、「倉庫(……配送センター)の責任者である星野に、〈1〉実際にその日に配送する分と〈2〉埼玉佐川急便にためておいてもらう分を話をして区分させ、埼玉佐川急便の集配にくる運転手にわからせるようにさせた訳です。たとえば三月一一日~三月一五日に埼玉佐川急便で集配にきてもらった分の送り状を三月二一日付で書いたり、三月一六日~三月二〇日に埼玉佐川急便で集配にきてもらった分の送り状を三月二二付で書き、〈1〉、〈2〉の区分をはっきりさせました。倉庫担当の星野は私から〈2〉の分について『発送調整をするから』といってはありますが、売上の繰りのべをするという事は、その時点ではわからないように話をしていません。」「前回六〇/三期分は小沢課長と言ったように思いますが、よく考えてみると私がたのんだ人は、五九/三期坂野営業課長、六〇/三期宮下営業係長、六一/三期小沢営業課長です。」「三人とも毎年三月の初旬です。坂野営業課長には決算期に売上を繰りのべする方法はとらず、発送の品物をあずかってもらって、実際に三月二一日、二二日に発送してもらいました。……六〇/三期私が(前述の)〈1〉~〈3〉について宮下係長にたのみました。私は六〇/三期分について小沢課長にたのんではありませんが、宮下係長は小沢課長の部下であったので、当然私が宮下係長にたのんだ事は宮下係長から上司の小沢課長にも話してある事と思っています。……小沢課長には六一/三期分について三月上旬頃(前述の)〈1〉~〈3〉の順序で売上の繰りのべをたのみました。もちろんオッケーの了解はとりました。」「(小沢課長が一切たのまれていないと言っていることについて、)小沢課長は、埼玉佐川急便ではナンバー2の人と聞いています。実務上、運転手の七〇~八〇%を自分の思い通りでき、社長の信頼も高いと聞いています。ですから自分から『私がやりました』という事は言わないのではないでしょうか。」「決算日以降の日付で実際には決算日以前に発送した売上げくりのべは、六〇/三期について六〇年二月末頃社長室で私と社長とで話し合いをしました。社長から、『一括分、至急分、商品が遅れている分は通常通り発送し、それ以外の分は三月一〇日頃から二〇日頃までに発送できるものは繰りのべしろ。』と指示がありました。それにより私は埼玉佐川急便の担当者や会社の倉庫担当者……にそれを実行させるべく指示をしました。六一/三期分についても六〇/三期と同様二月下旬に社長からこの話がありました。」(61・11・10付質問てん末書)「預けた商品は三月二〇日前に送れるかどうか、……三月二一日付で送るものについて、三月二〇日前に送ったことにより、三月二一日前にお客より入金があるとまずいので、つじつまが合うように、二〇日前に送れるものはおくるようにと指示がありました。つじつまを合わせるには三月一九日か二〇日でないと運送会社からお客宛に発送できません。」「(六〇年三月期以降社長からの指示が変わった理由は、)会社の資金繰りの関係です。早く送ればそれだけ早く入金になり資金繰りがその分よくなります。」(62・1・17付質問てん末書、問9、10)、「ベルーナの売上については、昭和六〇年三月期から兄の指示に基づいて売上の繰延べもするようになりました。はっきりしたひにちは、覚えていませんが、昭和六〇年二月下旬ころ、兄が社長室で私に、三月一〇日から二〇日までの間に物流センターから発送するものについては、一括払い分、至急分、発送が遅れている分を除いて三月一九日か二〇日に佐川急便から発送するようにしてくれ、三月一〇日から一五日までの分は三月二一日の請求書にし、三月一六日から二〇日までの分は、三月二二日の請求書にして繰延べをしてくれ、と言って、売上の繰延べを指示したのです。友華堂では、物流センターから埼玉佐川急便宛に商品を発送した時点で売上に計上していますが、兄は少しでも税金を安くしようと考えてこのような指示をしたのです。三月一〇日ないし二〇日の分を翌期の三月二一日、二二日の売上とすれば、それだけ売上が減って税金も安くなります。一括払い分については直ぐに代金が入って来ますので、資金繰りの関係で売上繰延べからはずすことになりました。至急分や商品の発送が遅れている分は、客が早く商品を受け取りたいと思っているわけですからそれも繰延べの対象外となったわけです。あまり早く佐川急便が発送してしまうと三月二〇日以前に客から代金が入金となり売上繰延べをやっていることが発覚してしまうおそれがあったため、佐川急便から発送するのは、三月一九日と二〇日ということになりました。私は、兄からこのような指示を受け、それから間もなくしたころ、ベルーナ部門の責任者であった田中千鶴子と打ち合せをしたり、佐川急便の担当者にお願いして、兄の言われたとおり、三月一〇日から二〇日までの間売上たものについて、繰延べを行いました。佐川急便の担当者が小沢達司営業部長か宮下宗樹営業係長のどちらかであったのかはっきりと覚えていませんが、私が直接あって兄から聞いたとおりを伝え、売上の繰延べを手伝ってもらうことにしました。昭和六〇年三月期の売上繰延べ額は六五〇〇万円近くあったということですが、それ位の繰延べをしているのは間違いありません。」(63・3・8付検面7項)というものである。右供述内容は極めて詳細であり、かつはなはだ特異な事実関係を含むものであって、真に体験した者でなければなし得ない供述内容であり、右供述内容につき弁護人側から何らこれを弾劾する反証もなされていないことを併せ考慮すると高い信用性を認めてよいと考えられる。そして、受注センターの主任をしていた田中千鶴子は、自己が実際にメモしたノートを基に、右安野昭三の供述を一部裏付ける供述を行っている。すなわち、同女は、「(仕事上の連絡事項をメモしたノートについて、)このノートは、社長……や今年の三月頃退職した元専務……等から連絡のあったこと等会社の仕事関係について私がメモしたノートです。」「『10日/20日売上ナシ、遅れ・急ぎはok、21・22で売上げたてる、第一、第二』(との記載)については、今年の三月上旬頃元専務の安野昭三さんから『第一、第二物流センター扱分の今年の三月一〇日から二〇日の間の出荷分は、その時に売上を立てないで、三月一〇日から一五日までに出荷した分は二一日に、一六日から二〇日の間に出荷したものは二二日に売上をそれぞれ立てる。ただし、遅れているものや、急ぎのものは出荷した時に売上をたててもかまわない。』旨の話があったものをメモしたものです。……『◎10~15日まで(21日)、16~20(22日)とする』については、前にも説明した通り、三月一〇日から一五日までの分は二一日に、三月一六日から二〇日までの分は二二日にそれぞれ売上をたてるという意味のメモです。」、「たしか今年の三月上旬だったと記憶しています。夕方六時頃、残業していた時、内線電話で四階の専務の席に呼び出されて指示されたものです。その時専務から言われたことをメモしておいたのが先程示されたノートです。」(61・10・1付質問てん末書、問5ないし7)と供述している。更に、埼玉佐川急便の営業課長であった小澤達司は、当初、「しかし、私は何度もいいますように安野社長にも前専務の安野さんにもたのまれた事はありません。」「貴局の査察官が当社へこられた夕方、室井が六〇年三月二〇日以前に発送済の請求書を翌四月分にまわして請求した事が貴局の調査の段階でわかりましたので、どうしてそういう事をしたのか聞いてみました。そうしたら『すみません。』と言っただけでした。それ以上は私は追求しませんでした。後で小林総務部長から『室井は友華堂からたのまれておったことだ。』という事を聞きました。」(61・11・7付質問てん末書。問9、16)と、友華堂の依頼で繰り延べをしていた事を示唆しつつ、自分は関与していないと供述していたが、「よく考えてみると、私は前任の宮下係長より三月二一、二二日頃の日付のものを三月二〇日以前に配送するよう引継ぎの話があったような気がするのです。というのは、引継ぎの頃、私の机の中に厚さ一〇センチ位の五枚複写の送り状のうち、上から二、三、四番目の送り状をゴム輪にとめて、二、三束幾日か入れておいた事があります。これが今になって考えてみると貴職がお話になっている三月二〇日以前に配送した分であるように思われます。」「(安野社長や前専務の安野昭三から三月二一、二二日付の品物を三月二〇日前に配送するよう)たのまれた事はありません。ただ宮下係長よりたとえば三月二二日付の北海道宛の品物は三月一九日頃発送しないと間にあわないから発送するように等言われてもいましたし、またほかの分もそのようにする事の引継ぎもうけましたので、三月二〇日前に配送した記憶があります。本来ならこのような事をしないのですが、新しく担当する大口得意先を大事にしなくてはいけないと思った事、前任の宮下係長からの引継ぎもあり、どうしてもそのようにやらざるを得ない立場であった訳です。」、「私自身経理の室井に対し何の指示もしていません。」、「(六一年三月期については、)前専務の安野昭三さんより、たのまれたような気はしますが、現実には集荷した日に配送していると思います。」(61・12・25付質問てん末書)、と供述して、宮下係長からの引継ぎの形で間接的に依頼を受けた旨をやや微妙な表現ながら認めるに至っている。以上からすると、安野昭三の供述は、田中や小澤によって一部裏付のある信用性の高い供述ということになる。

これに対して、被告人安野は、「私が専務……に(六〇年)三月一〇日頃から同二〇日までの出荷分のうち特に急ぎでないものは区分けして二一日以降に発送するように話をしておりましたので、取引運送会社である佐川急便に当社の発送担当者星野君から預け品と言うことで佐川急便に引取ってもらっていましたが、手違いがあって佐川急便で預け品であるはずのものが二〇日以前に発送されてしまったということを星野君から知らされびっくりしました。」(61・10・24付質問てん末書、問4)と、前記安野昭三の供述とは全く異なる趣旨、内容の供述をしていたが、「よく考えてみると、六〇年二月下旬か三月のはじめ頃、前専務に『預けた商品のうち二〇日前に送れるものは送るように。二〇日前に送ることによってお客からの入金が不自然にならないような方法で、後々問題がおきないようにやるように。』と話した気がします。」「(その意味は、)お客に対し、配送する日付が三月二一、二二日であるために、二〇日前に商品を送ることにより、三月二一、二二日前にお客から入金になってしまえば、その取引が不自然になってしまうため、税務署の調査があれば、すぐに指摘され問題になってしまうので、そのようなことのない方法でという意味です。」(62・4・8付質問てん末書、問13・14)と供述して、結局売上げの繰り延べを図ったことを認め、以後捜査段階での供述(答申書作成も含む)は一貫してこれを維持している。そして右繰り延べを図った旨の供述は安野昭三らの前記各供述と符号しており、真実を述べたものと認められる。他方、被告人安野の弁護人に対す供述調書には、「期末である毎年三月一〇日から同月二〇日までの間には急ぎのお客のものを除き売上出荷しないで、それを三月二一日に出荷するよう指示して、とりあえず運送会社に預けていたのです。ところが出荷担当者が、お客に到着するのは三月二一日以降になるということで、遠方のお客様分の出荷として三月一九日とか二〇日に運送会社へ発送を指示していたようで」との記載があるが、前記裏付を有する安野昭三の供述内容(しかも、弁護人の反証活動による弾劾は何らなされていない。)に照らして、到底措信することができない(なお、当公判廷の供述においても、一日か二日くらいは早く出してもいいだろうというふうな指示は出している旨を述べていることについては、速記調書二五五丁参照)。

したがって、措信しうる前記各供述(安野昭三ら関係者及び被告人安野の捜査段階のもの)及び収税官吏作成の売上高調査書の記載内容を総合すると、ベルーナ売上の中で、佐川急便が取り扱った分(四五一九万一四八〇円)については、六〇年三月二〇日以前に実際に同社から発送されている事実が認められ、検察官が主張するところの商品を運送業者に発送出荷した時点であれば元より、弁護人の主張する運送会社に預けていたとの前提事実を基にしても、現に運送会社が発送を行った時点が六〇年三月期内(三月二〇日以前)である以上、当期の売上げに計上すべきことは、自明の理である。

(4) ところで、売上繰延べについては、右佐川急便取扱いのもの以外に、日本運送分(一九三三万七五二〇円)があり、これについても問題となるところ、日本運送株式会社大宮支店長であった大塚寛は、「三月一一~一五日までに集荷したものは三月二二日に発送し、三月一六日~二〇日までに集荷したものは三月二一日に発送するよう指示されたと思います。」「二二日の発送はそのままでしたが、二一日発送分は、当日が丁度休日かなんかのため、二〇日に変更するよう指示されて書いたもので、発送も二〇日に行っております。」(61・12・4付質問てん末書、問8ないし10)、「(発店控綴のうち、)三月二一日の日付分について、それぞれ3/16、3/18、3/19、3/20と見出しが付いております。この見出しの日付が依頼された分について、実際に集荷をしてきた日です。また六〇年三月二二日の日付の発店控綴については、発店控の間に、それぞれ3/11、3/13、3/14、3/15と書いた紙が入っており……これらの日が実際に集荷してきた日です。」(61・12・6付質問てん末書)と供述しており、これに前記売上高調査書の六〇年三月二〇日期売上(繰延)金額調査書(日本運送分)の記載内容を照らし合わせると、三月二一日発送分(実際の発送日は三月二〇日)と売上計上日自体を三月二〇日としている分とを合計して一九三三万七五二〇円あることが判明し、これについても、当然六〇年三月期に売上計上すべきこととなる。

したがって、売上繰延べ分は、いずれも六〇年三月期に計上すべきことになり、これに反する弁護人の主張は採用しない。

(5) なお、念のため付言するに、期末直前に限って友華堂から運送会社が商品を一時預かり、その後運送会社がこれを発送した時点(弁護人の表現によれば、友華堂が予め荷送状、売上伝票に記載しておいた日ということになる。そして、同日以後に商品を配達することが約束されていたとする。)で売上があったとする弁護人の主張は、友華堂がこれまで「当社の倉庫から出庫した時点で売上と(する)……いわゆる出荷基準」を採用してきた事実(被告人安野の61・10・24付質問てん末書、問3参照)に照らすと、極めて恣意的な、かつ、継続性にも反する計上基準を認めよとの主張に帰着し、この点は、検察官が論告で指摘するとおり、企業会計原則に違背し、結局法人税法二二条四項に違反するところとなり、到底採用できないことは明らかである。弁護人の主張によれば、運送会社に商品を引き渡し、これを預けたと主張しさえすれば、期末直前の売上げはなくなり、期末直後の適当な日を友華堂において自由に選択することが可能となり、何ら特別の合理性も相当性も認められない本件事案において、そのような取扱いを認めるとすれば、期間損益計算の制度が意味をなさなくなることは明らかである。(この点につき、堀田力「租税ほ脱犯をめぐる諸問題(五)」法曹時報二三巻二号七七頁、碓井光明「租税判例研究」ジュリスト五八五号一五五頁参照)したがって、そのような主張を採用することはできない。

2  期首商品・製品たな卸高の除外(六〇七七万二五〇円)及び期末商品製品たな卸高の除外(二五六八万七〇〇一円)について

前記一1で説示したとおりであって、弁護人の主張は採用できない。

3  広告費(四五七三万五七九円)及び印刷費(四二〇八万六五〇〇円)の繰上計上について

前記一2で説示したとおりであって、弁護人の主張は採用できない。

4  役員報酬(一二二九万七二七五円)の架空計上について

前記一3で説示したとおりであって、弁護人の主張は採用できない。

三  割賦販売に係る未実現利益の繰延べ及び未実現利益の戻入の否認について

1  検察官の冒頭陳述書に添付された修正損益計算書では、各期の未実現利益繰入及び未実現利益戻入について、その公表金額をいずれも否認しているが、犯則金額には含めていないので、否認の如何にかかわらず右公表金額の範囲内では実際所得金額に影響はないことになる。

2  しかし、弁護人は、右につき、友華堂は五九年三月期及び六〇年三月期の確定申告に際し、法人税法六二条の特例を適用し、割賦販売に係る未実現利益の繰延の経理を行ったのであるが、その経理においては、売上原価の計算に関し、税法上許容されている方法、すなわち、売上原価として仕入高、販売手数料のみを組み入れる方法でなく、誤って、右のほか広告費、印刷費、運搬費等まで組み入れて計算していたのであって、これを正当な計算方法に依って計算すると、繰り延べできる額は、五九年三月期において、五一八二万一七九二円が、六〇年三月期において、一億四二〇四万三七九五円が、それぞれ更に多くなるので、右各増加額分だけ所得が更に減じられるべきである旨主張する。

3  これに対し、検察官は、友華堂は、五三年三月期から六一年三月期まで継続して期末たな卸資産を除外しており、除外の仕方は、抽象的なたな卸資産の数量除外であり、一括払いに関するもののみを除外したというものではないから、除外されたたな卸資産がその後割賦販売されていることは明らかであること、そして、友華堂は、五九年三月期においても、割賦販売したたな卸資産を除外し売上原価を正確に計算していなかったのであって、政令で定める割賦基準の方法によって計算していなかったことになり、しかも友華堂における割賦販売は、その売上の半分以上を占めていることからしてその額は無視できず、法人税法六二条の適用を受けるべき要件を充たしていない旨主張する。

4  そこで、まず問題は、友華堂が五九年三月期又は六〇年三月期の割賦販売について、そもそも法人税法六二条の適用があるか否かということになる。

そこで、法人税法の規定を見てみるに、同法六二条は、収益及び費用の帰属事業年度の特例として割賦販売損益の繰延べを認めるにつき、一項本文で「当該事業年度において割賦販売……をしたすべてのたな卸資産……に係る収益の額及び費用の額につき、当該事業年度以後の各事業年度において政令で定める割賦基準の方法により経理したときは、その経理した収益の額及び費用の額は、当該各事業年度の所得の金額の計算上、益金の額及び損金の額に算入する。」として、「割賦販売をしたすべてのたな卸資産」について、「政令で定める方法で経理する」ことを要件としている。そして、そのただし書においては、「本文の規定の適用を受けることとなった事業年度以後の事業年度において割賦販売……をしたたな卸資産の全部又は一部に係る収益の額及び費用の額につき、当該割賦基準の方法により経理しなかった場合は、その経理しなかった事業年度以後の事業年度については、この限りでない。」として、適用開始以後においては、「割賦販売をしたたな卸資産」の「一部」であっても、「当該割賦基準の方法により経理しなかった場合」には、繰り延べを認めないこととして、厳格な継続適用を要求している。また、同法施行令一一九条は、前記の委任を受けて、割賦基準の方法として、割賦販売等の対価の額などとともに売上原価をもその計算要素の一つとして挙げて、一定の計算方法を規定している。

5  ところで、友華堂が五六年三月期から法人税法六二条の適用を受けて確定申告をしてきた事実は、生田目税理士の検察官に対する調書などの関係証拠から明らかである。そして、検察官が主張する期末資産たな卸除外については、少なくとも五七年三月期以降行われていたことは関係証拠上明らかである。(なお、売上除外の事実も認められるが、関係証拠上、割賦販売に該当するものは認められない。)しかし、右除外されたたな卸資産が「政令で定める方法により経理」することを要求される「割賦販売をしたたな卸資産」に該当するか否かは、現にそれが割賦販売されたか否かの事実認定の問題に帰するところ、検察官も指摘するように、その除外の方法は、抽象的な数量除外であって、特定の商品に限定しているわけではないので、どの商品が割賦販売され、どの商品がそうでないかを個々的に確認することはそもそも不可能である。そうである以上、割賦販売をしたとは認められないとして、これを否定する見解もあり得ようが、要はどの程度の可能性があるかによってその是非を決するに尽きると考えられる。

そこで、右の点について関係各証拠を検討することとする。収税官吏作成の「売上高調査書」、「期首商品製品たな卸高調査書」及び「たな卸除外商品の売上状況調査書」と各題する書面、株式会社友華堂代表取締役安野清作成の58・5・20付「割賦販売未実現利益繰延勘定の明細」と題する書面(写)、税理士生田目六寿郎作成の「未実現利益繰延額の算出方法について」と題する書面を各総合して判断すると、次の事実を認めることができる。

〈1〉 五八年三月期の期末たな卸商品の帳簿公表額は四五五九万五〇二〇円であり、これに対し除外額はこれを約一〇〇万円上回る四六五六万七五二五円であった。そして、これらは、五九年三月期の期首に引き継がれている。

〈2〉 五九年三月期の実際売上高は二〇億四〇六五万三七六〇円であり、当期仕入高は八億四六四八万六〇一円であり、これに対し、期末たな卸高はわずかに一億一六一六万一四八〇円であった。したがって、期首たな卸商品を含めてほとんどの商品が当期中に販売されているということになる。

〈3〉 そして、同期の公表売上高は二〇億二九六五万七二〇九円であり、その内、割賦販売分は一一億三一一四万八八九〇円である。その他に売上除外分(一〇五一万四四八一円)等があるが、これは割賦販売に係るものではない。したがって、当期売上高に占める割賦販売分は、約五五パーセントを占めることになる。

〈4〉 また、同期のベルーナ部門の期末たな卸高五一二八万六一一〇円(五一五四点)中にはその約半分に当たる除外額二〇五三万三五円が含まれていたところ、右五一五四点のうち数量が一〇点以上の商品四七一九点の売上状況は翌期首の五九年三月二一日及び二二日に一三七四点が売り上げられており、その内九六%(一三二五点)が割賦払いであった。(これは、直接的には、六〇年三月期の期首たな卸商品及びその除外分の販売状況にはなるが、五九年三月期の割賦販売の可能性についても間接的ではあるが一資料となり得よう。)

右の事実を総合すると当裁判所としては、五九年三月期の期首たな卸除外商品の中には、同期中に割賦販売に付されたたな卸商品が相当数額含まれていると推認してよいと考える。

簡単に按分で考えてみると、

〈省略〉

となり、二〇〇〇万円を超える金額となるがこれに近い金額のたな卸商品が割賦販売されたと考えてよい。そうすると、この分については、申告分には含まれておらず、割賦基準の方法により経理されたことを認める証拠はないのであるから、右六二条の適用はなくなり、六〇年三月期についても前記のとおり、同じくたな卸除外があるので、同様に考えられる。

しかし、なお、右については、異論もある得るかと思われるので、念のため、他の観点から更に検討してみることとする。前掲証拠並びに収税官吏作成の「売上除外(繰延べ)商品の売上状況調査書」と題する書面などによると、次の事実が認められる。

〈1〉 五八年三月期の友華堂の確定申告及び修正申告の概要及び確定申告書に添付された割賦販売未実現利益繰延勘定の明細は次のとおりであり、これによれば、割賦販売に係る売上原価及び利益の額は、売上高全体の中で割賦販売に係るそれの占める割合によって決定されていたことが判明する。

〈省略〉

確定申告に係る割賦販売未実現利益繰延勘定の明細

〈省略〉

当期期日到来分及び回収高 489,687,655

未実現利益繰延額 (668,067,360-489,687,655)

×0.20109796=35,871,794

〈2〉 しかし、実際には、同期の期末たな卸高はすでに判示したごとく虚偽過少のものであり、四六五六万七五二五円の除外額があったため、割賦販売に係る売上原価は、その他売上に係るそれと同じ割合で過大になっていることが分かる。そして、割賦販売に係る売上原価の過大額は、その按分方式によれば二二五七万余に達することになる。そして、前記の未実現利益繰延額の計算方式に従って試算すると、右数額を単純に当てはめただけでも更に六〇〇万円余の繰延額の差額が計上されるべきことになり、数額上看過しえない金額にのぼっていることが判明する。

〈3〉 五九年三月期及び六〇年三月期においては、期首及び期末のたな卸除外金額によって、前者にあっては、一四二〇万二七二五円の売上原価の過大計上を、後者にあっては三五〇八万三二四九円の過少計上がなされたことになる。五九年三月期は、売上高が二〇億四〇六五万三七六〇円であり、割賦販売高が一一億三一一四万八八九〇円であるので、過大計上分は按分すると七八七万二六七一円と、六〇年三月期は売上高が三九億六七万一五五四円で、割賦販売高が二五億六三四七万五九九五円であるので、過少計上分は同様に二三〇五万六三〇三円となる。

〈4〉 六〇年三月期における売上繰延六四五二万九〇〇〇円については、全て割賦販売に係るものでこれについては、申告はなされておらず、割賦基準の方法により経理された事実もない。

してみると、同法施行令一一九条で定める利益の額又は損失の額を計算するにあたって、売上原価の過大又は過少計上があり、更には売上の繰延べによって利益額を過少計上もしており、結局同条の予定してる計算方法によったとはいえないものと考えられる。割賦販売に係る売上原価の過大又は過少については、売上高に占める比率などからすると、わずかなものと考えられるが、絶対金額からすれば、到底看過しえないものであって、たな卸除外が割賦販売未実現利益の繰延額の増域を意図したものではなく、そもそもは売上利益圧縮目的で行われたものであって、それが結果的に影響したものであるにせよ、それらをもってしては、六二条の適用を認めるに足りるものとはいえないと考えられる。

なお、弁護人は、仕入高に加えて広告費等を誤まって組み入れた旨主張しているが、生田目税理士も当公判廷で一部供述するところであるが、友華堂のような折込広告による通信販売という特殊な販売形態の営業にあっては、その特殊性を考慮し、広告宣伝費及び印刷費のうち一定のものを一般管理費と区別し、売上原価構成勘定として継続的に経理することは何ら企業会計原則に反するものではなく、税法上もこれを誤りとしなければならない理由はない。仮りに生田目税理士の採った措置が誤りである、すなわち施行令一一九条に規定する経理によっていないとするならば、その期において、既に法六二条の適用はないとせねばならず、これを訂正する余地はなくなる。けだし、右規定は効力規定であって、みだりにこれを緩和して解釈することは許されないからである(法六三条一項の資産の延払条件付譲渡等の事案についての五〇年二月二五日最判及び原審四九年一月三一日東京高判参照)。

四  以上のとおりなので、弁護人の主張はいずれも採用しない。

(法令の適用)

被告人安野清の判示各所為は、いずれも法人税法一五九条一項に該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

そして、被告人安野清の判示各所為は、いずれも被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社に対しては、いずれも法人税法一六四条一項により判示各罪につき同法一五九条一項の罰金刑が科せられるべきところ、情状により同条二項を適用し、刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により合算した金額の範囲内で、被告会社を罰金二八〇〇万円に処する。

訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告会社及び被告人安野清に連帯して負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 木村博貴)

修正損益計算書Ⅰ

自 昭和58年3月21日

至 昭和59年3月20日

〈省略〉

〈省略〉

修正損益計算書Ⅱ

自 昭和59年3月21日

至 昭和60年3月20日

〈省略〉

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例